
15年前の今日。
私は国際NGO「AAR Japan難民を助ける会」駐在員として、ラオスの山奥(首都ヴィエンチャンから車で10時間の、飛行機が2日に1便しか飛ばない)シェンクワンという村で、ベトナム戦争で投下された不発弾による被害者支援の保健プロジェクトに従事していました。

あの日は、同僚の日本人看護師と現地ラオ人スタッフと共に、村々に救急キットを届け、応急処置の仕方を教える活動の最中でした。
東京本部からの電話を受け、理解しないままPCを開き、見たこともない映像に息を呑む。遠い地にいて何もできない自分がもどかしく、ただただ止まらない鼓動と震えの中で、BBCニュースを見続けて朝を迎えました。
半年後、帰国してすぐ、復興支援チームを希望し、プロジェクト担当にしてもらい、福島県南相馬市の仮設住宅に十数回訪れる機会がありました。
✏️
「2012.9.22 初めて訪れた時の日記
海は澄んでいた。
福島第一原発から40km圏内で私が出会ったもの。

曲がったままのガードレール。
瓦礫の山々。
津波の爪痕が1年半の月日が流れても深く刻まれる地。
嵐の前の如く静まり返る仮設住宅団地。
高い放射線量が計測される我々の活動する福島事務所。
津波に飲まれる人たちをロープで引っ張り命がけで救助し、甲状腺に異常が生じたにもかかわらず休む間もなく被災者の心のケアにあたる同僚の女性。
私の耳を貫いた、今も支援を必要としている人たちの声。
今回私は、震災で親族を亡くした子どもたちや、今もなお仮設住宅で暮らす子どもたちに、放射線量の低い地域で思いっきり遊んでもらう仕事を担当した。「こんな大きなバッタを捕まえたよ!」「プールで泳げたよ!」満面の笑顔で走り寄って嬉しそうに話してくれた子供たち。本当に楽しそうだった。
でも、彼らが戻りたいところは他にある。
子どもたちが心の底から笑える日が1日も早く来ることを、心の底から願う。そして欠片のように微力ながらも今私に出来ることをしていきたい。
私は来週末もここに戻り、活動を続けます。」

🌸
遊具が流れてしまった学校に遊具を届けたり、
除染地域で暮らす子どもたちを会津に連れて行き、自然の中で思いっきり遊ぶ機会を提供したり、様々な支援活動に携わりました。
そんな中、仮設住宅で長期間暮らす方々のお話を伺い、聴こえてきたのが、
「 眠れない 」
「 人に会いたくない 」
「 外に出られない 」
という声でした。

同時期に私自身も「パニック障害」「自律神経失調症」「うつ病」などと診断され、大好きだった支援活動の仕事を止むを得ず休職し、メディカルアロマを始め様々な代替療法により、少しずつ回復していった経験があったので、「この方達の力になりたい!」と心の底から強く思いました。
すぐに職場に、安眠作用や自律神経調整作用のある精油を使ったメディカルアロマのワークショップ企画書を提出しました。
これが、心身のバランスを崩してしまった自分の回復のために学び、同時に、いつか周りに広めたいと思い、必死にインストラクター資格を取得した私が、自分以外の誰かにアロマを活用したいと、大きな原動力になったきっかけです。
開校してから、実際に被災した方や、ご遺族の方が、アロマコンサルテーションにいらっしゃることがあります。ご家族を失った方、家が流れてしまった方、ポツリポツリと話される方や、心に想いを秘める方など。
そっと寄り添い、一緒に涙しながら、香りのご提案をすることしかできないけれど、いつだって力になりたいと願っています。
この目で見た、この景色を忘れることはありません。
