6. 病気とアロマ(子宮内膜症などの闘病記録)

子宮内膜症との闘い〜ニューヨークでの手術を前に〜1)米国医療保険システムの洗礼

これは自身の備忘録のため、また経験者の方がいらっしゃればアドバイスを頂けることを願うため、そして何よりも私の大切な人たちが同じ経験をしないために、これまでの経緯と私の思いを記します。

(当時住んでいた自宅から望むハドソン川)

以下全文 2015/4/9の手記より

来週、手術を受けることになりました。

「子宮内膜症および骨盤の炎症と痙攣」と診断されました。腹腔鏡手術(ラパロスコピー )による、腫瘍と他問題のある部分の摘出など。

子宮・両卵巣は勿論、絶対温存手術です。

全身麻酔なんて初めてだし、日本じゃないし、医者が何言ってるか分からないことだらけだし、とっても怖い!何より、手術後の自分の体がどうなっちゃうんだろうと考えると怖くてたまらない!!

経験者談では、数日間歩けない、1人でトイレも行けない、激痛が残る、などあり、とにかくひどくならないことを願うばかりです。

しかも日本では4〜5日入院するらしいのですが、米国は医療費が高いから(=保険会社が認めてくれないから)という理由で、手術日に入院せず、当日帰らされるそうです…。なんて酷な。

医者には「5日間は4kg以上の物を持たないこと、夫が1週間自宅で介護すること、2週間は仕事を休むこと、長期的にフィジカルセラピーに通院すること」など言われました。まさかニューヨークに到着してたった1ヶ月で、こんな大ごとになるなんて思いもしていなかったけど、これも何かのご縁と思い、がんばるね。

* * * * *

1)米国医療保険システムの洗礼

事の発端は2015年2月末。生理開始3日後、左下腹部に激痛。私はひどい生理痛持ちだが、あの腰からズドーン・ガガガガンと金づちで殴られ続けるのとは明らかに違う、チカチカ・ズキンズキンとした痛みにのたうち回っていた。

ところで、米国の医療・保険制度はおかしい。医療費が莫大に掛かる(日本の10倍以上。我々の1人あたりの健康保険料は月に約12万円!!)だけでなく、患者は病院に行く前に医者を選ばなければならない。日本みたいにどこの病院に行ってもいいわけではない。つまり、医者に掛かる前にその医者が自分の加入している保険会社に入っているかをいちいち確認しないといけないのだ。

新居に引っ越してきて1週間、近所の病院のことなんて全く分からず、得体の知れない激痛と闘いながら(夫は仕事を休んでくれた)、保険会社に電話し、我々の加入しているBlue crossという保険適用内の医者を幾つか教えてもらった。しかし指定された医者がその日欠勤だったり、病院に掛けても「そんな医者はうちにいない」と言われ、すぐには病院が見つからなかった。当初本来の痛みが分からなくなるからと薬を飲まずにずっと激痛をこらえていた私だけれど、医者探しに4時間も掛かったため、生理痛用の鎮痛剤を内服していた。

すると、急患で掛かると数百万円近く掛かっちゃう!と理性が働くようになり、鎮痛剤を飲み続け、結局2日間我慢した。カネのない患者(こちらではカスタマー(顧客)と呼ばれる!)は、どんなに苦しんでも病院にすら行けないのかと、米国医療保険制度に対するフラストレーションを募らせていった。
しかし深夜1時、更なる激痛が。体をバタバタさせながら、何度もお腹にナイフを刺したいと思った。夫に、車で40分のマンハッタンにあるニューヨーク大学病院の救急外来まで連れていってもらった。

●重なる恐怖
カタコトの英語で何人もの担当に痛みの具合を説明し、2時間待たされた後ようやく超音波検査をすることに。

私は全裸に薄い綿の検査着をかけられ、左手に点滴をしながらベッドに横たわった状態で、男性職員と夫の付き添いで、2階の検査室に向かった。エレベーターに乗ると、黒人男性職員はボタンをガチャガチャ押しながら、ブツブツ言っていた。ボタンの調子が悪いのかなと思ったが、彼のその乱暴な押し方に嫌な予感がした。

やっとエレベーターが上がり始めたその瞬間、ガタン!

ーーー止まった。

え!?ドアが開かない!!

1階と2階の間にいるんだ。恐怖が始まった。
この職員は、なんとかしたいという一心からなのか、こうやれば上手くいくと確信があるからなのか後ろ姿では分からなかったが、ボタンを乱暴に押しまくっていた。夫と私に促され、緊急ボタンを押して外と連絡を取った。管理室から、今行く!と言われたのか、エレベーター会社を呼ぶ!と言われたのか、その後のショックからか、今記憶が定かではない。

覚えているのは、死ぬのかと本気で恐怖を感じたこと、2日間続く下腹部の激痛と闘いながら、全裸に薄い検査着一枚掛けられている状態で、凍えて震えが尋常でなかったこと(2月のニューヨーク外気温はマイナス18度)、異常事態でいつの間にか動いてしまっていたのか点滴の針が刺さった左腕から血が溢れ痛かったし、何よりもエレベーターの中に閉じ込められたことでパニックになり、シクシクと泣けてきた。

補足だが、ニューヨークに来てエレベーターを怖いと感じたことが多々あった。マンハッタンの建物は築100年なんて当たり前で、オンボロなエレベーターに時々出くわし、その度に雑な動きや音に怯えさせられていた。12階や30階から乗り降りするときはいつ落ちるかといつもヒヤヒヤしていた。それに加え、私はエレベーターが上に下にと、急上昇急降下する夢を何度も見ていた。あれは予知夢だったんだ!と考えるほど、この時の私の脳は、恐怖で正常に機能していなかった。
箱の中に夫がいるのが本当に救いだった。力強く励ましてくれ、これまでで一番彼を心底頼もしく思った(笑)。少し笑顔になれた。

エレベーター管理会社が到着してからも時間がかかった。その間、職員の彼に話しかけた。ガーナから来てこの病院で30年間働いてることとか聞いた。

ドアがこじあけられ、光が降り注いだが、外にいる人たちの足が頭上より高い位置にあった。位置を調節され、ようやく救出されるまでに、40分以上掛かった。

今思い返しても、このエレベーター閉じ込められ事件は、これまで途上国含め数々の危険な目に遭ってきたけれど、一番の恐怖体験をした。

2) フィフスオピニオンのすすめにつづく

香りで救われることがある
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