妊娠の継続は、奇跡の連続【妊娠記録④】

 

おかげさまで昨日、臨月(妊娠10ヶ月)に入りました。ここまで赤ちゃんが育ってくれたことが本当に奇跡で、ありがたいです。

刻々と、“その日” が近づいているような気がします。今朝もピラティスで呼吸のイメトレをし、夫と近くの源氏山を散歩したり、だんだんと穏やかな気持ちになる時間が増えてきました。妊娠記録の最終章を書き上げたい!と、ずっと思っていたのですが、午前に家事、昼間は仕事、夕方以降は後期づわりがあって、なかなか時間が取れずにいました。

長文になってしまったので、
前半に、妊娠判明後の実体験を、
後半に、不妊治療の苦悩とその後について、二つに分けて記しています。


前記事
1)インドで奇跡の妊娠発覚【妊娠記録①】

2)灼熱のインドでつわり地獄 【妊娠記録②】

3)デリーそして日本へ涙の心拍確認【妊娠記録③】

の続きで、次回が最終章です。

※アロマスクールとは関係ない完全プライベートな内容となっておりますので、ご関心のある方のみお読みください😊


4)妊娠は、奇跡の連続

白くて小さい点の輝き。インドから帰国当日、奇跡をこの目で見た日の翌日も、翌々日も、ベッドから起き上がることはできなかった。妊娠が分かり、これ以上にない喜びと同時につわり地獄に襲われ、帰国するまでの7日間はとても苦しかった。でもそれは、インド特有の暑さや旅先でのハードな滞在によるもので、涼しくて空気の美味しい鎌倉の、自然素材で建てた自宅で休めば、きっと快復できるだろうと期待を抱いていたのだが、目まいや吐き気などの体調不良は、一向に回復しなかった。

依頼を受けていた大事な仕事をキャンセルせざるを得ず、多くの人に迷惑を掛けてしまうことは苦渋の決断だったが、何年も不妊治療をしてやっと授かったこの命を守れるのは、他の誰でもない、私だけだった。

非常に強い目まいのほか、「常に食べていないと気持ち悪い(食べている時だけ元気で、食べ終わった直後にすぐ不快な気分になる)」という “食べづわり” が最も辛い症状で、寝る前も、夜中目が覚めた時も、とにかく何かを口に入れなければならず、一口サイズに握ったおにぎりや、イチゴやバナナなどのフルーツをベッドサイドに置いてもらうのが日課になった。食べられるものが殆どない中での救世主は、トマト。なぜかケチャップやソースなど酸味の強いものならかろうじて口にできたので、ミートソースパスタや冷やし中華などを食べた。

結局、3月、4月の2ヶ月間は一日中寝たきりで、家事の多くを夫にお願いするしかなかった(忙しい仕事の合間を縫って、次々に日々の家事をこなし、優しさと安心を与え続けてくれた夫が本当にありがたかった)。

鍼灸の先生に、毎週、自宅に来てもらい快復を試みたが、ほとんど改善は見られなかった。
「元々痩せ型だったから私の体に栄養が足りないからなんだ」「この症状は、赤ちゃんから私への“おねだり”なんだ」と気付いてからは、「つわり来た」と言うのでなく「おねだり来た」と声に出すようにしたりして、なんとか前向きに生きようとした。

目まいがひどいので読書もできず、光が眩しいので携帯やPCの画面を見ることもできず、ただただ目をつぶって一日中横になるだけの生活を連日送るのは、辛い以外の何ものでもなかった。楽しかったはずのインド旅行のことを頭に思い浮かべるだけで吐き気が襲ってくるので、写真を見返すこともできなかった。そんな不調に苦しみながらもなんとか夫の負担を減らそうと家事を試みた。洗濯物を畳んでいた時、ふと、出産予定日が果てしなく遠く永遠に来ないように思え、涙した日もあった。「健康な妊婦さん」になりたかった。

自宅でのアロマレッスンの際は、事前にプリントを作成し、座りながらさせてもらったりして、なんとか仕事を続けた。既に、半年や1年という期間で通学を申し込んでくださっている<資格取得コース>の生徒さん達には、妊娠の事実と、出産時に数ヶ月間お休みを頂かなければならなくなったこと、希望者は転校も検討してもらうよう伝え、謝罪した。しかし、当時の受講生10名全員が私のスクールでの継続を希望してくださり、「産後は、授業中私が抱っこしながらでもいいわよ」とか「一緒に育てていきましょう」とか、思いがけず大変温かい言葉をかけてくださる方々が多く、嬉しさにその場で涙したことも何度かあった。

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私の大好きな新緑の季節、ゴールデンウィークになった妊娠4ヶ月(13w)。2ヶ月間もの間、家から一歩も外に出られなかったので、1日1時間だけと決めて、夫に車で海岸や公園に連れて行ってもらった。身体に触れる風が心地よく、青空の下に居られる幸せを噛み締めた。

しかし、そんな束の間の幸せも、たった5日で終わってしまう。夜中に突然の出血で青ざめた。病名は「絨毛膜下血腫」。まだ僅か身長8センチ程の赤ちゃんのすぐ横に、全長5センチの血の塊があるとのことで、その場で入院を勧められた。が、明日出血が収まるかもわからないのに今入院することは、結局、何週間も入院することになり、落ち着いて就寝もできないし、そのストレスが妊娠に良くないのではと考え、医師にお願いして自宅に帰らせてもらった。

翌日からは、立っているだけで出血が止まらないため、さらに1ヶ月間ベッドで寝たきりの生活を続けなければいけなくなった。さらに流産の恐怖と隣り合わせで、ただただ、お腹の赤ちゃんが無事に成長すること、そして自身の身体の力を信じることで、気持ちを繋いだ。検診の度に「元気ですね」という検査技師さんの言葉と、エコー写真が撮りにくいほど飛び跳ねている赤ちゃんの姿に、「この子は生きるんだ」「産まれてくるんだ」という強い何かを感じることができたのが何よりも救いだった。

6月1日、出血がピタリと止み、計3ヶ月間の、永遠と思えた寝たきり生活に突然終止符が打たれた。その後は驚くくらい元気になっていったものの、長期間の食べづわり&寝たきり生活のため、身体の筋力は衰え、平均値を大幅に超える体重オーバー(妊娠5ヶ月で10kg増!)で、回復には時間を要した。でも、本が読める、仕事ができる、当たり前の日常が嬉しくてたまらなかった。

 

妊娠初期の不調を取り戻すかのように、やる気は絶好調の中期後期の4ヶ月間。
でも実は、つわり自体は、妊娠発覚時から臨月に入った今日までなくなったことはなく、安定期の間も夕方以降は常に食べづわりがあって気持ち悪く、外出はままならなかった。他にも、次から次へと、身体のあちこちにトラブルが起きた。尋常じゃない暑がり(今年の夏は猛暑でしたね)、夜中のこむら返りや歩けないほどの恥骨痛に加え、胎盤の厚さ(正常値が2.5〜3mmのところ私は6mm)で感染症が疑われ血液検査をしたり、胎盤早期剥離の可能性を示唆され不安になったり。むくみ(浮腫)がひどく、尿蛋白がプラスなため、妊娠高血圧症の可能性があるということで血圧を毎日測ったり。積極的に運動・エクササイズ、栄養管理をしていても、自分ではどうしようもないところで起きる様々な妊娠合併症…。


 

ずっと赤ちゃんを望んでいたのに、妊娠がこんなにも大変なものだなんて知りませんでした。
不妊治療が奇跡の連続だということは体感していましたが、妊娠の継続も、本当に奇跡の連続だと身をもって痛感しています。

重度の子宮内膜症と付き合い、また術後の闘病生活に耐え、その後の再発、生理の度に鎮痛剤が効かないほどの激痛と闘ってきた私ですが、妊娠初期のつわりのピーク時は、その生理痛の苦しさが2ヶ月間毎日続いたようなもので、新しい命を授かったというのに、このお腹の中に可愛い赤ちゃんがいるというのに、苦しくてたまりませんでした。

きっと健康な妊婦さんも多いのでしょうし、女性は(また次に授かる気になれるように?)悪阻や出産時の苦痛をすっかり忘れるように出来ているのか、あまり覚えていない、と答える人が周りに多いです。出産後の子育てのあまりの大変さに、上書き保存されてしまったような感じに聞こえます。

私も無事臨月に入り、これから出産、そして育児が待ち構えているわけですが、この10ヶ月という期間は、人生の中では短い期間でも、1日、1週間がただ何事もなく無事に過ぎることだけを願って、祈って過ごした、とてもとても長い期間に感じたということを記しておこうと思います。

次回は、最も書きたいことを書きます。
最終章  「5)不妊治療の末の奇跡。隠さず全て話す理由」に続く(近々UPします)