最終章・不妊治療の末の奇跡ー隠さず全て話す理由【妊娠記録⑤】

 皆さまこんばんは。鎌倉アロマ&メンタルケア アサンテマサンテの曜子です。

 妊娠10ヶ月(39週)、予定日まであと3日となり、赤ちゃんの訪れを穏やかな気持ちで待っています。
(やっと最終章まで辿り着けました!😊)


前記事
1)インドで奇跡の妊娠発覚【妊娠記録①】

2)灼熱のインドでつわり地獄 【妊娠記録②】

3)デリーそして日本へ涙の心拍確認【妊娠記録③】

4)妊娠の継続は、奇跡の連続【妊娠記録④】

の続きで、今回が最終章です。

※アロマスクールとは関係ない完全プライベートな内容となっておりますので、ご関心のある方のみお読みください😊


5)【妊娠記録】最終章・不妊治療の末の奇跡ー隠さず全て話す理由

 

<はじめに>

 妊娠を、出産前に公表するか否かについては非常に悩みました。傷ついてしまう人がいるのではないかと。

 私自身、長い間不妊に苦しんできた経験がありますし、同じ悩みを抱えている、大好きな友人たちも何人もいます。ですので、妊娠の事実を公表することに対し、とても複雑な思いがあり、妊娠して半年が経ち安定期に入っても、なかなか決断できずにいました。

 しかしながら、アロマスクールをひとりで運営し、人前に立つ講師をしているという仕事柄、公表せずに仕事を続けることができなかったことと、何より、以下2つの思いがあり、敢えて公表するに至りました。

 

 

1)女性が生きにくい社会を変えたい。

 残念ながら日本では、未だセックスや女性の月経、不妊治療などの話題に関して、女性が公に話をすることがタブーのような風潮があるように感じます。

 鎮痛剤が効かないほど重い生理痛のため、生理のたびに2日間は大学を休まなければならなかった10代、

生理休暇という、名前だけで取得するのが躊躇われる空気が支配する男性社会で、男性と同様のアウトプットを出すことが暗黙の期待値の中で、休むことを口に出せず無理をしてしまった20代、

その後、子宮内膜症という完治が難しいと言われている婦人系疾患の発病が分かり、数年に渡り心身を擦り減らしながら闘病生活を送ってきた(以前書いた記事:2日間で1,900名からの反響!「生理の話がタブーではない社会に」も是非ご参照ください)

私が声を大にして言いたいことは、

もっと女性自身が自分のカラダ、 “女性性” を大切にしながら働くことができる社会に、そして、
女性が、自分の性に自信を持って生きられる社会に、なるべきだということです。

女性の体は、男性とは違うんです。
 
生理休暇を躊躇なく取得できる世の中に、
月経のタイミングに左右される不妊治療休暇を罪悪感を感じずに申請できる世の中に、
女性にとって生きやすい世の中に、変わってほしいと切に願います。

 

 また、私は、結婚してから妊娠するまで4年強の間に、「子どもは欲しくないの」「子どもがいるのはいいよ」「子どもは早い方がいいよ」と心ない言葉を掛けられたことが数え切れないほどあります。その度に笑顔で受け応えしますが、正直、あまり後味がよくなかったりします。私が通院していた不妊治療のクリニックには、訪れる度に目を疑うほど大勢の方達がいて、それぞれの悩みを抱えています。

 子どもを「作らない」のではなく、「授かることができない」カップルが、多数いる現実を、もっと多くの人が知ってほしいと思います。

 

2)あなたは一人じゃない。

 「妊娠が続くことは、奇跡の連続だということ」や「辛く苦しい不妊治療の末、自然妊娠した実体験」を記しておきたいのは、自身の記録のためというより、子どもを授からないことで、悩んだり、苦しんだりしている方達が非常に多い今日に、その方達にとって何かしらの気付きになれたらと願うからです。

 確かに、昨今ではネット情報が溢れ、不安だから検索し、でも、自分を安心させてくれる記事に出会うことは少なく、余計、不安を助長させる記事を読んでしまって、悪循環の中に入ってしまったりすることがあります。それでも私は、子宮内膜症や卵巣嚢腫、不妊治療や体外受精、といった様々なステップにおいて、似たような経験を持つ方の同じような思いを読んで、「こんなに辛いのは私だけじゃないんだ…」と励まされたことが何度もあります。

 人が皆それぞれ異なるように、妊娠の形も、出産の形も、それぞれです。ご参考になるか分かりませんが、長年、婦人系疾患の闘病生活を送り、同時に2年に渡り不妊に苦しんだ私自身の経験を記すことによって、同じように感じているどなたかの、心の安定になったり、違う方向を見るきっかけになったりしたらいいなと願います。

 

※なお、不妊治療は夫婦2人で受けることなので、これからお読みいただく内容には夫のプライベートなことにも少しですが触れていますが、夫は以前から女性の権利やジェンダー間の平等などを支持する考えを持ち、それを仕事にもしている人なので、社会がもっと女性の健康について知り、変わる必要があるとの理由から、私がこのように公表することに賛成してくれています。

 



私たち夫婦のこれまで <不妊治療に至るまでと、自然に授かるまでのまとめ>

  • 2013年11月:入籍
  • 2014年9月:子ども欲しいねと話すように。
  • 2014年11月:生理痛の悪化。都内で4軒の婦人科にかかるも疾患として診断し、手術してくれる(手術の紹介状を書いてくれる)ところがなく途方に暮れる。
  • 2014年12月:夫の転職で渡米
  • 2015年2月:生理痛(異常なほどの激痛)で、ニューヨークの大学病院の救急医療室を受診。「子宮内膜症及び骨盤の炎症」という病名の末期だと言われ、即手術が決まる。
  • 2015年4月(32歳):ニューヨークにて腹腔鏡手術(詳しくはこちら
    →術後も骨盤の痛み等の後遺症に苦しむ。8ヶ月間、週に1度のフィジカルセラピーに通い続ける。
  • 2015年12月:帰国

 

  • 2016年3月(33歳):初めての不妊検査。
    →卵巣年齢43歳と言われる。

       子宮内膜症を再発していたので、不妊専門クリニックと同時並行で大学病院にも通院(経過観察)。治療として、不妊治療を選択。

 

  • 2016年7月(33歳):初めての人工授精。

 

  • (2016年10月:鎌倉にて東日本大震災被災者支援のチャリティーフリーマーケットに出店。翌月、初めてメディカルアロマ講座を開催)
  • (2017年2月:開業届を提出。鎌倉でメディカルアロマスクールを開校)

 

  • 2017年3月(34歳)、初の体外受精。(鎌倉で土地を購入)
  • 2017年10月(35歳)、2度目の体外受精をすべく受診。

 

  • (2017年12月、新居完成、引越)
  • (2018年1月、産業カウンセラー認定試験を受験、合格)

 

  • 2018年3月(35歳)、インド旅行中に自然妊娠発覚。[この1ヶ月後に、1年ぶりに2度目の体外受精をすることを決めていた矢先のことだった](詳しくはこちら


1)襲い来る病魔に対する恐怖心
2)不妊治療がもたらす精神的・肉体的苦痛
3)不妊治療を失敗して選んだ寄り道
4)頭も心も体も、丸くなって訪れた自然妊娠

 

1)襲い来る病魔に対する恐怖心
 子ども大好きの私たち夫婦が、赤ちゃんがほしいねと思ってからの3年半は、もがきながら、辛く、苦しい日々でした。
 妊娠を望んでからすぐ起きた、子宮内膜症の悪化、手術、そして再発が、私たちの妊活を難しくしました。

(詳しくは、ぜひ以下のブログを御一読ください。
「子宮内膜症との闘い〜ニューヨークでの手術を前に〜 4) 子宮内膜症と生きていくこと」
「子宮内膜症との闘い〜ニューヨークでの手術を前に〜 2)フィフスオピニオンのすすめ」 )

 子宮内膜症は、月経を迎える度に悪化すると言われていて、且つ、お腹を開けてみないと確定診断ができない病気です。しかも、手術をしても病的組織を完全に取り除くのが難しいため、60%近くが術後も再発すると言われていて、私も例に漏れず、ニューヨークで(上述ブログの通り、壮絶な)手術を乗り越えたにも関わらず、1年半後に再発が確認されました。

 闘病生活で辛いのは、生理中のほぼ5日間は鎮痛剤を飲んでも効かないため終日寝込むことに加え、イライラしたり、精神的に不安定になってしまうPMS(月経前症候群)/ PMDD(月経前不快気分障害)が生理前の約2週間続くため、自分が元気に活動できるのは、「月にたった7日だけ」という状態が、何年も続いたことです。(周りに迷惑を掛けたくないため、いつ来るか分からない月経を予測して、私のカレンダーは「約束を入れないマーク」でびっしり埋め尽くされていました。)

 そんな、通常の社会人として最低限の社会生活が送れない闘病中の私の、治療法としての選択肢は、1)ピルなどを飲んで月経を人工的に止める(ホルモン療法)か、2)子宮を摘出するか、3)妊娠する(生理を止める)の三つ。2011年に治療法としてピル[ヤーズ]の副作用でうつ症状に苦しんだ経験があり、また妊娠を望む私に残された治療法は、「妊娠」のただ一つでした。

 ただでさえ月経を迎える度に、大きな精神的負担を強いられる不妊治療に加え、月経の回数を重ねる度に症状が悪化していく子宮内膜症の闘病生活と、また、二度目の手術への恐怖で、私の頭は、意識しないように努力しても、やはり頭の片隅にこれらがあり、生理が来る度に毎月涙を流すようになっていました。

 


2)不妊治療がもたらす精神的・肉体的苦痛

 不妊治療について女性が直面する大きな困難に、仕事との両立が難しいことがあります。

 今思い返すと、治療期間中で私が最も辛かったのは、生きがいを感じられる仕事をお休みしていた期間です。

 2015年12月(33歳)、ニューヨークから帰国した際、私は、当時悩んでいた上述のPMSの症状などの寛解を目指すと同時に、妊活と身体づくりに専念するため、大好きだった国際NGOに復帰することができず、民泊オペレーターという通訳翻訳の在宅アルバイトをしながら生計を支える生き方を選びました。

 実際は、心の中でモヤモヤとした生活を送っているのですが、生きがいを感じる仕事と妊活は両立できないため、一旦自分のキャリアをお休みすることに対し、「この生活でいいんだ」とポジティブに考えるようにしていました。「赤ちゃんがほしい」の一心で、空き時間にヨガや散歩など身体作りに努めたり、食生活や冷えに気をつけたり、と、もがきながらも良いものを取り入れるよう、できる限りの努力をしていました。

 だからこそ、毎月月経が来る度に、女性として、妻として、人として、自信を無くし、落ち込んでしまうことが多くなり、自分と向き合う時間の多さが精神的負担になっていきました・・・。

 受精率が下がるといわれている35歳というタイムリミットと、子宮内膜症をこれ以上悪化させられないというダブルの切迫感から、心身の心地よさを置き去りにし、終わりの見えない不妊治療に、精神的にも肉体的にも疲弊していきました。

 

 そんな生活を送ること8ヶ月、転機が訪れます。

 渡米前に通っていたアロマスクールの紹介で、介護施設デイサービスで月に3回、アロマクラフトを作製する講座の講師のお仕事を頂けたのと、

 当時借りていたアパートの大家さんから、東日本大震災被災者支援のチャリティーフリーマーケットを開催する話を聞き、元々、震災後に国際NGO職員として福島の仮設住宅を何度も訪れていたこともあった私は、「協力したい」という一心で、商品 “こころミスト” を開発・販売、その流れで翌月、鎌倉で初めてメディカルアロマ講座を開催しました。

 在宅のアルバイトの仕事もあったため、講座開催は月に一度のみだったのですが、ありがたいことにお申込みが増えたのと、やはり、「自分の人生も充実させていたら、赤ちゃんを授かれるかも」と楽観的に考えるようになり、2017年2月、開業届を提出し、鎌倉でメディカルアロマスクールを開校するに至りました。また、元々関心のあった、産業カウンセラーの資格を取るべく学校にも通い始めました。

 起業してからは、自分の生きがい、やりがいを全身で感じているからか、不妊治療をすることに対して精神的負担はかなり軽減しました。また、幸い自営業なので、「無理をしない」ことが大前提で、仕事をするペースも自分で決められたのが良かったと思います。

 周りで不妊に悩む友人たちの中には、SNSが見れなくなったり、ひどい自己嫌悪に陥ってしまったりする人がいる中、私は、過去に大きなストレスによるこころの不調を経験したことがあるからか、こころがどん底に落ちる前にブレーキを掛けることができていたようで、精神的にまいってしまう状態には、幸いなりませんでした。それでも、道を歩いてすれ違う親子連れを見ると「いいなぁ」と思ったり、地元の友人が二、三番目の子を授かると、なんとなく「ポンポンと授かっている」ように見えてしまい、どうして自分は・・・と思ってしまったり、愛する人の子を産めない申し訳なさで、夫に謝ってしまったりすることはありました。

 人工授精、体外受精、と治療法をステップアップしていく中で、頻繁に不妊外来クリニックに通うために不自由になるスケジュールや、嵩む治療費など、様々な負担がありましたが、最も辛かったのは、肉体への負担でした。子宮内膜症の手術時に、それまで労わることをせずに酷使していた自分の身体に謝って以降、自分の身体の声を聴くような生活を心がけてきた中で、身体に薬剤や器具を入れなければいけないことが苦痛でした。特に、体外受精の際に、卵子をたくさん採れるように1日おきに誘発剤の注射を打つこと、毎日誘発剤を飲むこと、そして採卵時に卵巣に針を刺すことが、自分の身体がかわいそうでたまらなくなり、本当に辛かったです。

 


3)不妊治療を失敗して選んだ寄り道

 夫42歳、妻34歳。初めての体外受精。

 内膜症で卵巣への手術歴がある私は、卵巣への負担が最も少ない「マイルド法」という採卵方法を選択しましたが、それでも採卵のために1日おきに誘発剤を注射する必要がありました。しかし、医師から「8個取れたらいいね」と言われていたにもかかわらず、実際に採取できた卵子は3つのみでした。エコーで見えた卵胞は空胞ばかり。しかも、それまで全く問題のなかった夫の精子が、この時だけたまたま成績が良くなかったために、振りかけ受精でなく、顕微授精が決定。その上、5日後の受精卵の状態(グレードと呼ぶそう)は3つともあまり良くなく、その良くないグレードの受精卵を、子宮に移植する(戻すと呼ぶらしい)かどうかの決断を、その場で迫られました。このまま育つ確率の低い受精卵が命かどうかを、まさかその場で”選別”しなければならないなんて、倫理的に非常に困りました。結局、私の子宮の状態も考慮し、医師と相談した結果、諦めたのですが、本当に正しい判断だったのかと、今でもとても気になっています。

 一回目とはいえ、移植すらできなかったことに落ち込み、医師からは「良い卵子を作ることが大事」と言われたため、より一層、身体づくりに励むことにしました。

(神奈川県からは、初回に限り30万円の助成が出たので(移植しなかったため)2万円ほどの自己負担で済みましたが、2回目以降の補助金額は上限15万円に下がるので、何度もトライするのには金銭的にも厳しいという現実も、そう判断した理由の一つです。)

 初の体外受精から二度目をトライしようと行動に移すのに半年待ったのは、上述の通り、採卵のための卵巣への負荷が本当に辛かったからです。それでも35歳になり、赤ちゃんを諦められない私たちは受診を決めたのですが、この時は私の身体のホルモン値が芳しくなく、採卵すらできませんでした。この間、良い卵子ができるため身体作りを心がけていたものの、土地を購入し、連日、仕事終わりに夜中までハウスメーカーと家の設計の打ち合わせをしていた疲れが溜まっていたため、値が良くないであろうことは半分予想していました。

 そういう訳で、家づくりが落ち着くまで不妊治療は一旦お休みしようと考えるようになりました。

 

(補足)ちなみに、不妊治療のプロセスを経ることは、何が原因かを知ることができる”検査”の意味を持つので、良い点もあるのですが、

今回の受診で、妊娠するためには、

・女性のホルモンの値が良くなければいけない
・女性の子宮が柔らかく、適度な厚みもなければいけない
・女性の卵巣から卵子が排卵されなければいけない
・排卵された卵子を卵管がうまくキャッチしなければいけない
・女性の卵子の状態が良好でなければいけない
・男性の精子の状態が良好でなければいけない
・精子と卵子が受精できなければいけない
・受精卵が良いグレードに育たなければいけない
・受精卵が着床できなければいけない

など、揃わなければいけない条件が多すぎることを知り、不妊治療の難しさに、途方に暮れる思いがしました。

 


4)頭も心も体も、丸くなって訪れた自然妊娠

 「不妊治療をして精神的にも肉体的にも疲れ果てて、諦めた頃に自然妊娠するよ」
 私自身が不妊治療をする前、そして頑張っている最中に、周りから何十回も耳にした言葉。

 初めて人工授精・体外受精をする時に、私は夫に漏らしました。
「あー、これから精神も肉体もボロボロに疲れ果てて諦めることが分かっていても、それを始めなければいけないんだ…」と。

 ボロボロ、とまではいかなくても、一度きりの体外受精の採卵でかかった身体への負担をどうしても忘れられない私は、だんだん子どもを持つことを諦め始めていました。養子を授かることも夫婦間で話し合うようになっていました。

 でも実際は、二度目の受診の一ヶ月後には新居が完成し(2017年11月)、翌月に引越し、翌々月(2018年1月)には、1年通学した認定産業カウンセラー試験があり、確定申告、インド旅行…と、数ヶ月間、非常に忙しない日常生活を送りながらも、頭の中から「子づくり」のことがさっぱり消えていました。

 

 赤ちゃんを自然に授かったのは、気楽にゆったりと、子づくりのことや、排卵日がいつかなんてさっぱり頭から消えていた時のことでした。

(妊活経験者の方には分かっていただけると思いますが、月経開始日や排卵時期って、忘れたくても忘れられないものですよね。私は、その時の証拠として覚えているのですが、3ヶ月に一度の、東京大学病院の子宮内膜症外来受診の際、医師に聞かれて答えた「前月の月経開始日」を間違えていたんです。妊活を始めてから、月経開始日が初めて頭から消えた月に、自然妊娠できました。)

 私たちも、なぜ自然に授かることができたのか、分かりません。

 でも、一つだけ言えることは、” 私の「頭」も「心」も「体」も 柔らかくなっている時 ” だったということ。

 そしてとにかく強く感じるのは、赤ちゃん自身の意思で、この時期を選んでくれたのだという思いがしてなりません。

 奇跡だと感じたのは、

 

・実は私たちは、妊娠が判明した翌月(2018年4月)に二度目の体外受精をすると、半年前から決めていたことです。でも何度も書いた通り、私の心も身体も再度あの治療を受けるのを苦痛に感じていたので、その本当に直前に赤ちゃんがお腹に来てくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。そして、逆説的ではありますが、再治療を決めていたために、その前の数ヶ月は妊活のことをさっぱりと忘れることができたのではないかとも、思うのです。

 

・インド旅行中に妊娠が発覚したことです。14歳から、いつも一人で世界の国々を訪問したり暮らしてきた私ですが、2012年に心身の不調から仕事を休養せざるを得なくなってからは(周りに話したことないですが)、一人で海外に行くことは到底無理な身体になっていました。夫と結婚し、彼の支えのおかげで、ニューヨークや鎌倉の自然の中で暮らす中で徐々に快復し、ようやく自信を持って、また一人で海外に旅立つことができた時のことだったので、赤ちゃんはこの時を待っていてくれたとしか思えないのです。(インドでの沢山のハプニングすらも選んできてくれたのだな、と(笑))

 (ちなみに、あれほど苦しんだPMS/PMDDは、妊娠した途端、ピタリと止みました。本当に驚きました。500枚の黒いラップで頭をグルグル巻きに締め付けられるような感覚(PMSの時の、逃れられないネガティブな感情を表現するとこんな感じ)が常にあったのですが、人間、こんなに晴れやかでいられるのかと。毎日とっても穏やかな、幸せな気持ちでいられます。ホルモンの力は怖いですね。)

 


長くなりましたが・・・

お読みいただき、ありがとうございます。

 

これからは、アサンテマサンテ(ありがとう、私の健康)というスクール名を肝に銘じて、夫と、私たちを選んでくれた赤ちゃんと、恵まれた奇跡に感謝の気持ちを忘れずに、過ごしていきたいと思っています。

そして自身の経験を元に、妊活中の方向け、妊婦さん向けのイベントを開催していく予定で、現在企画中です。

 

今この瞬間に、
赤ちゃんを授かりたいと思っている方々、
不妊治療をがんばっている方々、
治療を一旦お休みしている方々、
皆さまが穏やかな日々を過ごされることを、心の底から願っています。

私ができることはほんの僅かですが、
分かち合うことならできます。
話を聞きます。
自然に囲まれた心安らぐ空間で、ゆったりとハーブティーでも飲みましょう。
ぜひお気軽に、ご連絡くださいね。

アロマテラピーでできることは、心をホッとさせること。ユルマル。
気持ちをちょっと上向かせること。ウエミル。
あなたのリラックスとリフレッシュのお手伝いをいたします。

 

 

鎌倉アロマ&メンタルケア アサンテマサンテ代表
NARD JAPAN認定アロマ・インストラクター
産業カウンセラー 曜子